幸せな日常からの新たなる後悔 ブログ始めます
人生を幸せに生きるために重要なことは精神的になんとなくリッチな時間を過ごすことだと、ほんの数日前まで考えていました。
朝ランニングをして、汗を流す。散歩をして幸せホルモンを脳から大量に流す。規則正しい生活と、食べ物には気を使う。読書を一日30分はするなど、これらの行動を意識的に日常に取り入れることで、その時その時は、幸せだなぁとしみじみ感じることができるようになっていました。
実際幸せなのには違いありませんが、一つの問題を発見するに至りました。
それはこうした日々を過ごしていると思い出がほとんど残らないことです。幸せではあります。物事に感謝もできるようになってきていることを感じています。しかし今振り返って、最近数年間の記憶に残っているのは日々の改善を繰り返してきたことです。そして今かなり満足度の高い毎日を過ごすことができるようになってきたと思うだけです。大きなイベントや楽しそうなことを起こした記憶がほとんどありませんでした。
これならば大学時代にバックパッカーとして海外一人旅をしてきた。無人島で食べ物を持ち込まず一週間過ごした。富士山に登って朝日を富士山頂上で浴びた。など、なんかその時のほうが楽しそうな記憶となっています。
しかし、大学4年の時、わたしはこうした人生の楽しみ方には限界があると感じていました。無人島に行くため、海外に行くため、いろんなものを犠牲にし周りの人間に私はこんなにすごい楽しそうな人生を過ごしているんだと見せびらかすことが私の目的のような気がしていたからです。
こんなことなら、バイトでお金を稼いだ多くの時間でたくさんの本を読み、多くの偉大な故人から学ぶほうが有意義ではなかろうかなぜ私はそれをしてこなかったのかと嘆いた覚えがあります。
そして大学を卒業し、社会に出てそうした生活を続けてきましたが、先ほど記述しました問題にぶち当たったという感じになっています。
そして、紙を取り出し考えました・・・
私の人生は楽しいものでありたい・・・
今のような後悔に似た感覚は持ちたくない・・・
長々書いてきましたが問題はこの二つですです。
①大学時代に、すべてを犠牲にして楽しそうなことをすることで後悔を生んだ
②だから、幸せ度を高める。散歩・読書・運動などを日常に取り入れたが未来への贈り物として思い出が残っておらず、楽しそうな過去ではないことで後悔みたいな感じがしている
そこで出した答えは、自分でも情けないほど単純ですが
これら二つを並列して行っていくことです
よくよく考えたらおかしな話です
じゃあ、大学時代に後悔したとき、幸せ度を高める行動を日常に取り入れながら、楽しそうなことをはじめからしておけよと思います
しかし、私は幸せ度を高める行動に注力してしまい。それで満足していたのだから仕方がありません。
今までのことは私に強い動機を与えるために必要なステップであったとポジティブにとらえこれからを生きていこうと思います
そしてブログは私の人生は楽しそうだろぅ?
と自慢するために始めることにしました。
数年後楽しそうな人生を過ごす、自分が誇らしく思えるように